サイトのタイトル「豊穣」、豊穣とは自然から授かった「汗をかいたご褒美」です
☆チー君日記☆

飼い主が不在になってしまった老犬介護の記録(1)

はじめに



  平成二十年二月のある日、妻と二人で、つかの間の時間、デパ-トでの買い物中に携帯電話がかかってきました。以前法律相談をお聞き頂いた、東京都内の弁護士先生からのお電話で「犬を預かってもらいたい」との内容でした。

  二月十六日弁護士先生が土浦駅に来られ、直ぐに犬と飼い主である弁護士先生にご縁のある女性に、ご一緒に会いに伺いました。その女性(松本さんという方でした)は母より一つ年上で八十八歳になられ、介護施設に数年前から入居しておられたそうです。介護施設から数百メ-トルの距離にある住まいは、かなり古い家で、玄関のサッシの引き戸が大きく開けてあり、人間用の古いプラスチックの洗い桶に餌が入っていました。見ると、キャベツと葉物野菜と、パンかおかゆか解らない、おおよそ犬の餌とは思えないものが残餌としておいてありました。

老犬チー君  「チーちゃん」と松本さんが犬の名を呼ぶと、人間で言う「いぶかしそうで無表情な顔」を、ふすまの後ろからのそりと出し、出てきました。これがこの物語の主役「チー君」との初めてのご対面です。白っぽい色の大きな雑種犬で、大きさもさることながら太っているので、尚大きく見えました。頭はそれほど大きくはありませんが、胴体の太い事、左足をひょこひょことかばいながらの初対面でした。

  直ぐに、むくんでいるように感じました。胴体のわりに足が細く、爪も伸びていて、散歩不足と言うことを感じました。「こんな餌を食べさせられているなんて、可哀想」と言う松本さんの甲高い声が耳に残りました。「チー君」は無表情で尚不安そうな態度で、のそりと玄関先に下りてきました。普通の飼い犬は、吼えて尻尾を振りながら耳を寝かせ、頭を低くして喜びを表現するのに、何の動作もありません。ですから、なおさら「可哀想だなあ」と観ていました。ほとんど、人間で言う「痴呆」状態です。無理もありません、会話もなく、「作業としての飼育」を長年に渡りされていたのですから。ですから、何の感情も持ち合わせていないのです。いや、忘れてしまっているのです。

  この様な印象を「チー君」との初対面に感じました。犬も人間も「いのち」は変わりがありませんし、犬は可愛がれば可愛がるほど表現力が豊かになっていきます。「愛されている」と言うことを実感させることが出来れば、必ず「喜怒哀楽」を表現してくれます。先ず「チー君」に、「人間が愛してくれている-生きてる喜び」を実感させてやるぞ!と決意して「チー君」の住まいを離れました。

  松本さんに同乗してもらって、まず当社の飼育場に案内しました。そこは捨て犬捨て猫を拾い集めている場所です。お見せすると、「こんな所で飼育されるチ-君が可哀想」、「絶対に嫌!」と言い出し、最後には「あんな所にチー君を預けるなら死んだ方が良い」と言われてしまいました。この飼育場は土浦市郊外に位置し、犬、猫共にきちんと住まいがありますが、未だ自然が残っている場所で周りは樹木に囲われ、人間環境から見れば,、住宅地にある場所に比べ「僻地」に見えます。

  弁護士先生は、「この女性の言葉は、痴呆症で言っているので、気にしないでほしい」と言われましたが、現在の「チー君」の健康状態からすれば、住まいを移動する事は、心身ともに負担がかかりすぎる状況である事も明白でした。私の診かたとしては、「チー君」の容態はむくんでいるようにみえ、下半身が運動不足と老化の為に何らかの障害があり、びっこを引き、右足の肩の方の付け根の筋肉が発達し、盛り上がっています。後ろ足の筋肉は衰えて上半身から比較すればか細くてようやく立っている状態でした。右の耳もつぶれたように巻き上がり、見た目が尚悪い印象に診えます。

  この容態は、老化による下半身の衰えから来ている、と思われました。また運動不足と、飼育放棄による人間不信とが重なり合い、「臓器不全症候群」と思われました。治らなくても、幸せな気分で長生きさせてやりたい、それは今の場所に私が行くことで叶えられます。やれる範囲での飼育を引き受けました。又、長年近くの獣医が往診、「チー君」の面倒を見ていたようで、かなりの医薬品を多用していると思われます。運動も殆どしてはいないとの事でした。運動は「チー君」にとって生きる為絶対的に必要な事です。ストレスや筋肉の凝りを回復させ、食事の吸収力を増幅させる代謝に必要なのです。

  今回は、「超自然水-特製タレ」を使用し、適度な時期に薬物から「超自然水」に切り替える、と言う食事療法を実践するつもりです。食事療法と引き運動が主となり、かなりの時間を割かなければなりません。とにかく、出来得る限り「チー君」に会いに行くことが最も重要になります。弁護士先生の話ではどうしようもなくなったら保健所に連れて行く、と言う話を聞いてしまっていたので、余計に力が入ってしまいます。何としても飼い主より幸福感を味合わせてやらなければとの思いが脳裏に浮かびます。

  「観てしまった」「聞いてしまった」事です。私の癖が頭を支配し、「やれ」と命令するのです。その心の命令は「絶対」であり、私自身も生きる視野がその都度拡大し、現在の私自身の人生観を構築するに至っているのではと感じております。どれほどの数の捨てられた犬や猫達を育て、土に返したか忘れてしまいました。でも、時としてふっと幼少期、小学生時、中学生時、と時代と共に思い出すとき、そのときに一緒に生活していた犬や猫を思い出し、幸福感にひたります。犬も猫も人間と同じ「いのち」を持っているのですから。

(2009/3/8 配信)