サイトのタイトル「豊穣」、豊穣とは自然から授かった「汗をかいたご褒美」です
☆祖父・父からの授かりもの☆ logo

父のこと-その1


  父の事です。父は兄と二兄弟でした。下駄製造業を起こした祖父からの莫大な財産は長兄が継ぎました。父の実力を知っていた祖父は、財産など当てにせず実力でやらせてみたかったのではないかと思います。ただし父のために土地は確保しておいてくれました。話しが前後しますが、父が土浦に帰ってきた時に、祖父は長兄の所を出て父と一緒に住んだのです。私が七歳頃まで祖父と一緒に暮らしていました。

  父は子供の頃から経理の才があったようです。七歳頃のことだそうです。祖父は資金繰りに苦しくなると、祖父の父(私から見ると曾祖父)に資金援助を求めたことが幾度かあったようです。曾祖父にしてみれば、百姓に見切りを付けて土浦に移住してしまった息子(祖父)を快く思っているわけがありません。そこで祖父は、父を曾祖父への使いにやったそうです。大人用の大きな自転車で足が届かず、横から足を入れて乗るいわゆる「三角乗り」で十五キロメ-トルもの距離を曾祖父にお金を借りにいったのです。その時祖父は、行く道の途中にある曾祖父の大好きな饅頭を買ってみやげにする様にと、お金を借りる知恵を授けることを忘れなかったそうですが。

  またその前後、祖父から言いつけられて銀行にお金を借りに行ったこともあり、その銀行員が「神童」と言った、ということもあったそうです。こんなこともあったそうです。お客さんが来ると、祖父は父に蕎麦の注文に行かせました。その時父は決まって自分の分も一つ足して頼んだそうです。ある日父は祖父に蕎麦を三人前頼むように言われ、一人前追加で四人前頼んできたそうです。実はその時祖父は、一人前追加する父の数をあらかじめ見越して一人前引いて父に言ったのです。蕎麦が届き自分の分がない事に気付いた父は大暴れをし、祖父も仕方なく追加したとの事です。

  下駄製造の手伝いも当然させられました。学校から帰ると職人達と一緒になっての作業です。ある日丸のこぎりに指を入れてしまい、あっという間に三本の指を切り、もう少しで三本とも落ちてしまいそうな大怪我をしてしまいました。それが原因で祖父からは職人になる事を禁じられ、販売部門の勉強をさせられたのです。

  昭和七年頃、下駄卸の地域である浅草「花川戸」に祖父の会社で土地を購入し営業所を開きました。父は若干十七歳でそこの支店長になったのです。営業など一切した事がない田舎の芋兄ちゃんの父が、毎日祖父と二人で二ヶ月間、浅草中を歩き名詞持参でこつこつと営業をしたそうです。二ヵ月後祖父は土浦の実家に帰り、浅草に残った父は一人で、祖父に教えられた通りの営業を半年間やり続けたのです。始めはさっぱりだったそうですが、半年後ぼちぼちとお客が付き始め、二年後には、三越、松坂屋、などのデパ-トから一手に大きな商売が飛び込み、日本一の下駄製造販売会社になったのです。営業所といっても、実家から送られてくる七分程度の下駄を、職人を使い完成させ、販売したのです。下駄職人も五十人雇い、面白いように売れて儲かったそうです。


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7/31/2008